専門家に聴く
Vol. 12
カフェのお客様
判断能力が衰えた場合を想定して、成年後見制度の利用を検討しているおひとりさまもいるのではないでしょうか。前回に続き、ジェロントロジーの専門家であり、市民後見制度に詳しい宮内康二さんに後見制度と、宮内さんが代表を務める一般社団法人後見の杜がめざすものについてお話をうかがいました。
裁判所の「司法統計」によると、家庭裁判所が後見人を決める法定後見契約はこの15年間で40万件対して、自分で後見人を選ぶ任意後見契約は約12万件です。つまり、日本では任意後見制度を利用する人が少ない。後見制度を「難しい」を考える人が多いからでしょう。後見制度の敷居を下げ、利用しやすい制度にしたいと考えたのが、後見の杜を立ち上げた理由のひとつです。
もうひとつは、後見する人の後ろ盾になる組織は
あるのに、いま後見されている人や将来後見されるかもしれない人の組織がなかったからです。これでは後見される人の立場からの発言や提言ができないのではないかと考えました。
後見の杜では、後見される人と後見する人、金融機関や不動産会社、医療や福祉の関係者など後見人と取引する人、後見につなぐ人という後見関係者をつなぎ、“後見”を育て、使いやすいものにすることをめざしています。
「本人ならこうするだろうなあ」と考え、病院や金融機関などと取引をすることが後見人の役目です。任意後見契約を結んだ相手に「裏切られないか」とか「こんなことを言ったら怒らせないか」を気をもむようななら、それはいい後見人ではありません。
そうです。私が相談を受けたケースでも、奥さんが、病気で倒れたご主人の法定後見人になった弁護士から「マンションを売ってご主人の医療費や介護費に充てるから、離婚してマンションを出て、生活保護を受けて欲しい」と言われた例がありました。そこで「ご主人は本当にそう考えているのか、父親としての扶養義務はどこに行ったんだ」と伝えたら、その弁護士は「マンションを売るのは止めましょう」と態度を変えました。
ええ。後見制度を利用した専門職による低劣なサービスです。
サービスですよ。にもかかわらず、後見される側が苦情を言うと周囲も「年を取っているくせに」「認知症のくせに」「被後見人のくせに」と取り合おうともしない。これはジェトントロジーの立場からいうと高齢者に対する誹謗です。
繰り返しになりますが、判断能力が衰えたときに「この人はこうするだろう」と考え、言えないことを言い、できないことをやるのが後見人の仕事です。つまり、後見される人を幸せにすることが後見人の仕事と言えるでしょう。ところが、後見人にお金を横領されたり、入りたくない施設に無理やり入れられるケースもある。調べてみると、後見人の100人に1人が横領をし、100人のうち7人が辞任しています。後見人の約1割が問題を起こし、後見される人とその家族を不幸にしている。そこに怒りを感じているんです。
はい。後見制度は必要ですし大切ですが、利用する必要のない人もいます。つまり、後見制度を利用するべきなのか、他の選択肢があるのかを見極めることがとても重要です。後見の杜では「後見相談士研修」などを通じて、見極める個別支援を行っています。
そうです。後見人になると月1万円~3万円、後見される人がお金持ちの場合は月7万円程度の収入が得られます。それだけの報酬を得ながら、年1回くらいしか顔を見せない後見人もいるんです。最近では、家庭裁判所に営業している弁護士や司法書士、社会福祉士など専門職が後見人になることも増えています。先ほどの例もそうですが、自分のことをよく知りもしない人と財産管理委任契約を結んだばかりに、財産を保全することに血道を上げられてしまうケースもあります。そもそも財産は手段であり、目的は生活に使うことであるはずなのにです。しかも、いったん後見人がついてしまうと変更しにくい。だから、必要がない人には、後見以外の選択肢を勧めています。
まずは委任契約です。それを銀行や保険会社などが認めてくれない場合には公正証書を作成します。それでもダメならば任意後見契約をするんです。後見の杜では「生活、介護、医療等の手配、契約、支払いのための財産管理委任契約」を結ぶことを提案しています。
範囲が広くなるように配慮はしていますが、何を頼みたいのかは予め本人に決めてもらいます。任意後見契約が法定後見契約よりも優位とされるのは、後見される本人から頼まれているからです。誰かに物を頼む以上、頼む側の責任も問われます。だからこそ頼む側も自立し、「何を頼みたいか」を自分で決めて、きちんと伝える努力をすべき。「何でもかんでもお願いしたい」などと甘えたことを言っていてはダメです。私は、委任者の責任は受任者の責任よりも大きいと考えています。
判断する人によって差違が出る可能性はあります。そこで後見の杜では、後見が必要かどうかを点数化し、かつ費用がどのくらいかかるのかを試算できるプログラムをつくりました。このプログラムでは、「コミュニケーションを取れるか」「認知症などの医学的な確定診断は出ているのか」「自分で財産管理ができるのか」などの質問にYESかNOで答えていくものなので、判断する人の主観を排除することができます。
そうです。これを読んだおひとりさまには、「判断能力が衰えたときに、あなたのことを知りもせず、愛してもいない家庭裁判所家庭裁判所を絡ませるべきではない」と声を大にして訴えたいですね。
そのためにも、必要がある場合には判断能力のあるときに「何を頼みたいか」を明確にしたうえで、自分で後見人を選ぶべきです。この場合も1~2年程度の試用期間を設けて“自分色”に育成すべきでしょう。
だって「あなた」のことを知らずに「あなた」の代理人なんて務まるわけがないでしょう? 日常生活を振り返ってみればわかるはずです。Aというお店の品揃えが自分の好みでなければ、別のお店に行きますよね。
任意後見制度も同じです。これから高いお金を払うんですから、「私の後見人になりたいなら、毎月ちゃんと来て私の話を聞きなさい」と注文すべきです。使用期間に納得できないことがあったら、その人とは契約しなければいい。後見制度は福祉ではなく、利用者が費用を負担するサービスと言えます。だからこそ、ビジネスベースで考えることが大切なんです。
そう思います。ただし、任意後見契約を行う法人は、まだまだ少ないのが実情です。私は任意後見をビジネスとして行う「株式会社」がたくさんでき、競争原理が働くようになればいいと考えています。
前回、「自分は、老後にどんな役割を果たし、どう社会貢献できるか」を考えるべきと言いましたが、後見人という仕事もそのひとつです。実際にやってみることで自分がどんな後見サービスを受けたいかを考え、それを提供することは立派な社会貢献ですよ。