専門家に聴く
Vol. 11
カフェのお客様
人生90年の時代に、長い老後をどう生きるかで悩み、不安を感じるおひとりさまもいるでしょう。そこで今回は、高齢者の可能性を探究する「ジェロントロジー(老年学)」の専門家である宮内康二さんに、海外と日本の老後に対する意識の違いや、どう老後を生きるべきかをうかがいました。
日本語では「老年学」と訳されますが、1903年にフランスのパスツール研究所でメチニコフ博士がはじめた長寿研究が始まりです。ちなみに「Geront」はギリシャ語の「Old」に当たる言葉で、「~学」を表す「ology」がついた造語です。
そのジェトントロジーは、世界恐慌下のアメリカで社会科学へと発展します。アメリカは個人の自由と自己責任(自助)を尊重する個人主義の国であり、個人の努力による生活安定と向上が重視される国です。ところが、1929年の世界恐慌時に大量の高齢路上生活者を見た「米国連邦政府社会動向調査委員会」のクラーク・チベット氏は、自助努力の限界を感じ、加齢と高齢者に関する研究をスタートさせました。その際、チベット氏は1週間ほどホームレスとして生活しながら、高齢者にヒアリングを行ったそうです。この時の調査が、1935年にニューディール政策の一環として制定された社会保障法(Social Security Act)に活かされています。
アメリカの社会保障法は「Give and Take」が根底にあります。チベット氏は米国ミシガン大学にInstitute of Human Adjustment(IHA)を設置し、加齢と高齢者の研究、なかでも高齢者の「強み」を研究しました。その結果、高齢者は他の世代より判断能力やリスク対応力に優れていることが明らかになった。そこで、高齢者には年金を支給する代わりに、高齢者の強みである知恵や判断能力などを提供してもらうことになったのです。
福祉といえども「自立」が求められるわけです。これに対し、日本の高齢者、とくに男性は「濡れ落ち葉」と揶揄される通り、自立できていない。ジェトントロジーでは「定年退職」を単に会社を辞めた時ではなく、次の“居場所”つまり活躍や生きがいの場を見つけられた時をさしています。アメリカでは、それを見つけられない人が自殺してしまうほどです。事実、企業に“活かされて”きた白人のアッパーミドル層の高齢者による自殺が多く、問題になっています。
ぜんせん違いますね。アメリカでは加齢による心身の変化を理解し、自分の努力で変えることができるものと、努力しても変えられないものを見極め、そこに必要な選択をする意識も根付いています。たとえば、アメリカでは健康を維持するために、早朝からショッピングモールを歩き、エクササイズする高齢者の姿がよく見られます。
また、加齢によって味蕾細胞が衰えると濃い味を好むようになります。日本では「健康のために薄味の食事を採る」ことを良しとし、老人ホームなどでも薄味の食事を提供するところが一般的です。ところがアメリカでは、「いずれ死ぬのだから、おいしいと感じる濃い味のものを食べる」という選択もできる。
自分で意思表示し、選択することが当たり前なんです。だから、アメリカでは老人ホームに入るときに、判断能力が衰えたらどうするかを考えて任意後見契約を結ぶ。死んだときのことを考えて遺言をすることも当たり前です。そうしないとほおって置かれるどころか、「何も決めていないなんて、どれだけ無責任なヤツなんだ」と批判されますよ。
自立が尊ばれているからです。その意味では、ドイツなどはもっと厳しいですよ。ただし、アメリカはコスト主義の国ですから「家族が介護したほうが安い」と判断されれば、家族が介護をする。これに対し、ドイツなどの場合は、家族の扶養が前提で、それができない場合は地域、つまり向こう三軒両隣が面倒を見る。それも無理ならカウンティ(地方行政)という順番です。
というより、自立心が強いからです。そもそも、アメリカやドイツでは、「Give and Take」が前提だから、福祉に対する税金が高いのも「当たり前」と考えられている。自助と公助がしっかり分かれているんです。日本のように甘えていない。「Take and Take」で「何もしてくれない」と文句を言っているのとは、わけが違います。
統計がないので詳しいことはわかりませんが、自分から地域に働きかけるんだと思います。そもそも、アメリカは、意思表示をしなければ何もしてもらえない社会です。もちろん、何も求めないし、何も言わない人もいるでしょう。でも、それは本人がそういう選択をした結果です。端から見て「損をしている」と思っても、本人が「それでいい」と思っているなら、それでいいんです。
義務としての仕事や扶養から解放された老後は、社会の歯車から外れた時期である半面、人生で唯一、自由に生きられる時期でもあるはずです。ところが、日本の高齢者は、やりたいことも、生きがいもないから、役割もないから、長生きしたいと思っていない。それは「自我」がないことであり、不幸なことです。
そうです。ジェロントロジーの中核的理論のひとつである「継続理論」では、40歳頃までに培った価値観や生活行動が、高齢期にわたって継続されるとしています。つまり、老後に満足感や幸福感を得ることができるかどうかは、40歳までの生き方で決まる。また、老後の役割や生き方を考えるときには、自分の棚卸しをし、そのなかで優先順位をつけ、さらにボケないために5%くらいのSomething Newを入れるのがいいようです。
肝心なことは「他者評価」を気にするなということです。自分が良ければ、他人の目は関係ありません。
そういうことです。それと老後は、いかに社会との関わりを維持し、満足感や幸福感を得て過ごすかが重要です。その点、特に女性は人付き合いが上手なので、楽しくやっていける。おひとりさまでも「Don’t Worry. Be Happy!」ですよ。
そんな心配をするより、おひとりさまは、老後にこそ、社会に力を貸して欲しいですね。たとえば、親との死別などで親権者がいない未成年の後見人や、介護保険の対象にならない家事支援は、ぜひ力を貸して欲しい分野です。そういうボランティアを通じて、なかなか「ありがとう」を口にしない人から、いかに「ありがとう」を引き出すか。それは大きな醍醐味であり、最大の評価ですよ。