専門家に聴く
Vol. 10
カフェのお客様
前回に続き、弁護士の住田裕子さんにお話をうかがいます。法律の面から見た場合、おひとりさまの老後にはどのような課題があり、それにどう備えればいいのでしょうか。考え方と具体的な対応策を教えていただきました。
「医療同意」は大きな問題になっています。ご存じの通り、医療行為には患者本人の同意が必要ですが、危篤状態であったり判断能力が弱まっていたりして本人が意思決定できない場合には、誰かが代わりに同意しなければなりません。その際、誰が決定権を持つかが問われているのです。
そうです。ただ、親子間、兄弟間で利益相反があって、なかなか同意が得られないこともあります。
そこが法律的な穴でもあるのですが、親族以外でも可能です。たとえば、意識のない人がひとりだけで搬送されてきた場合、現場の医師たちは、何とかして身内など連絡の取れる人を探そうとします。人命救助を最優先して最善を尽くそうにも、医療同意を得られないまま治療した結果、あとで家族などが現れて「そんな治療は必要なかった」と訴訟でも起こされたら、やぶ蛇です。患者が治療費を払えなかったり、死亡した場合の身元引受人が必要だからというだけでなく、医療同意が得られない段階では、誰がその判断に責任を持つのかがわからないから、怖くて治療ができないというのが本音ではないでしょうか。
そうです。成年後見人の仕事は「財産管理」です。そこに医療同意まで含まれたら、ただでさえ成年後見人の引き受け手が少ないのに、いっそう敬遠されてしまうのではないでしょうか。
最終的には本人の意思が決定打になりますから、本人の意思を明確に示すことができれば、可能ではないでしょうか。ただし、その場合には「証拠」が重要になります。言葉だけでは信用してもらえない可能性もあるので、きちんと書面にしておくことが必要です。と同時に、延命治療はどこまで受けたいのか、緩和治療はどうしたいのかなど、考えうるケースについて、自分の意思をなるべく具体的に書面で残すことも必要でしょう。
そのほうが望ましいと思いますよ。この二つはどうするか、考えておくべきですね。今後、治療手法は医療の進歩とともに、想定できないことが増えていきますが、ざっくり言うと、改善の見込みはなく、単なる延命的な医療を望むかどうかです。よく言われる機器とチューブだらけの医療を受け入れるかどうかですね。ご家族や親しい人は、“できるだけ長く生きていて欲しい、1分1秒でも”という切なる気持ちが生じますので、医師もその意向を無視できません。そのためには、今、わかっている医療手法についての考え方を明記しておく意義は大きいでしょう。
もう一つ、苦痛緩和ケアについても考えておきましょう。場合によっては、死期を若干早めるものであっても、これを求めるかどうか、です。消極的安楽死問題でもありますね。
遺言と違って定まった書式、形式はありません。すべて英語でもかまいませんし、自筆でなく、パソコンで作成しても署名等から、作成者が明らかであれば問題ありません。
ところで、遺言は、内容については法定事項のみ効力があり、形式も厳格に決まっています。とはいえ、法定事項以外のことでもその意思は十分に尊重されますし、字や内容がわかりにくいものであっても、これまでの遺言者の示してきた言葉や行動も考慮して、できるだけその意思を推し量って解釈すべきという判例があります。
そうすると、法定の形式のないウイッシュリストは、自由意思から出た真摯な言葉であれば、わかりにくいものであっても、同様に、できる限りの尊重はされるはずです。ただし、無効になる場合、というのが法律上あります。民法90条違反になる「公序良俗に反する内容」です。そこで、微妙な話題として「安楽死」問題を挙げておきましょう。日本では、毒物を服用、投薬して死期を選べる積極的な安楽死は、この90条違反で、認められないと考えられています。常識的なものであれば、問題はありませんが。
無効になるもう一ケースは、遺産の配分方法などについて、遺言で記載した内容と矛盾する場合です。この場合は、遺言が優先します。もっとも、ウイッシュリストも遺言の形式を備えれば、自筆証遺言書として有効になりますから、以前の遺言事項と違った配分等をしたい場合は、遺言の形式に整えたものにすればいいわけですが。
「おひとりさまスマイルCafe」が、愚痴や自慢を聞いてくれて、大きな契約の前にチェックをしてくれて、医療同意の代行もしてくれたら、心強いですね。
相続の問題もありますね。子どもがいないおひとりさまの場合、誰がどの財産を受け継ぐかが問題になります。父母や祖父母など直系尊属が生存しておらず、兄弟姉妹も亡くなっている場合、兄弟の子どもが相続人になりますが、一般的に甥や姪など血縁関係が薄い人たちほど、露骨な相続争いをする傾向があるんです。
確実に相続させたいなら、それもひとつの方法です。ただし、養子縁組するなら、周囲にきちんと公表し、周囲の納得を得ることも必要です。そのためには、親子関係の「実績」も必要になるでしょう。
特別養子、つまり養子が戸籍上も実の親との親子関係を断ち切る養子縁組でなければ、実の親の財産も引き継ぐことができます。とはいえ、養子縁組は、慎重に考えてからすべきでしょう。養子と離縁するのは、配偶者と離縁するよりもずっとハードルが高いからです。事実、「養子縁組したとたん態度が豹変した。後悔している」という相談は少なくありませんし、その場合も、虐待など暴力的なものがない限り、なかなか離縁は認められないのが現実です。
もっとも、「介護をし、最期を看取ってくれるなら、あとは財産がどうなっても構わない」と思えるのなら、それもひとつの選択肢と言えるでしょう。ですが、介護もせず、最期も看取ってくれない人が養子にならないとも限らない。それは、頭に入れておいたほうがいいでしょうね。
そう思うのなら、元気なうちに形見分けをするという選択肢も考えられます。生きているうちに渡すと不便が生じるなら、遺言書を書いて、それを周囲にも公開するといいかもしれません。遺言書は何度も書き換えられるので、書いたものを見せたとたん手の平を返す人がいるようなら、また書き直せばいい。それで「もう、これでいい」と意志が固まったら、そのときに公正証書にしましょう。大切なことは、自己決定力がある間に決めておくということです。
特に、ご自分が築いた資産は、周囲の人に差し上げるのは当然でしょうが、「寄付」の途も是非考えてみて下さい。社会の役に立つ!どなたかの生き甲斐に繋がる!などなど、ささやかでもかまいませんから。ちょっといいことした、と思えれば幸せではないでしょうか。
前回も言いましたが、自己決定力があるからこそ、ひとりで生きてこられたわけですよね。自分のことを潔く、自分で決められるって幸せなことだと思いませんか?
そうですよ。だからこそ、それができる間に、自分の終末期や、その後のことまで、自分でしっかり決めておきましょう!